1.政治の話しになると
色々な仲間(経済界、ゴルフ仲間、同業者、その他諸々)と政治の話し
が始まる。そうすると必ずといって「結局、我々有権者が悪い」と大方の
話しのオチがこの点で終わってチョンなのだ。
例えば「21世紀の新しい産業の創出」などと謳い上げてみても廻り廻って
結局「国民が悪い」すなわち「民度」に行き着いてしまう。
公共工事の在り方 → それは自民党が悪いのだ → 否、族議員が悪い →
いやいや後援会が悪い → その中心となっている首長や県議などの地域の
リーダーに問題がある → 否、村会議員や区長の意識の問題だ → 否、有
権者が悪い という案配である。
そして「自民党」のところを「民主党」に置き換えても、この「メランコ
リー」は結局同じであろうと国民は思っているのではあるまいか。
結局「その国の政治レベルは民度によって左右する」なにやら格言もどき
言葉でいかにも議論が完結したごとく錯覚してしまう。
では、「民度」を上げるには、どうすれば良いかとなって百家争鳴とな
り、なかなかまとまらない。その結果「リーダー待望論」となり、もしか
したら「いつか来た道」へ突き進んでしまう恐れがなきにしもあらずなの
だ。
人、物、金、情報を国家が完全に掌握出来た時代は官僚の管理下で上手く
やっていけた。
ところが今は、国家とは何か・・・・と深く考え込んでしまうありさまなのだ。
2.議 員 心 理
細川元首相や石原慎太郎氏は別格として、はとんどの議会議員は「次の
選挙」のことで頭はいっぱいなのだ。
それは村会議員から国会議員までといって差し支えない。
確かに政治家という人種は選挙に落ちれば「タダの人」より始末に負えな
いのであるから彼等の頭の中は選挙で頭の中はいっぱいなのは理解出来る。
そのことを官も民も業も上手に利用するから、どちらが人間として上か下
かは大いに議論する必要があろう。
注:私のこのような言動こそが政治家を冒涜し、政治不信を招き「民度
」を下げていることは充分に承知している。
3.治 山 治 水
次に彼等の頭の中に大きなウエイトを占めているものは「道路や橋」の
ことなのである。私をわざわざ遠方の宮崎から講師として呼んでおきなが
ら、主催者が「式次第」に従って来賓席の議員さんに挨拶を求められる。
視聴者である多くの住民の前でその議員さんは必ずといって「道路や橋」
の話しを持ち出される。
この現象は全国津々浦々に亘って共通である。
「議員の頭の中は道路や橋以外に考えていることはないのか」・・・・と叫び
たくもなろうというものだ。
川はあくまでも川であって治山治水の対称以外のなにものでもなく、レジ
ャーを楽しむためのものでは断じてないのである。
そこへ道路を引き、橋をかけ、社会資本を整備し、産業のインフラを起こ
すという。
では一体、社会資本を整備した暁にはいったいそこで何にをするのか政治
家は示してはいない。
公共工事が目的であるならば社会資本整備ではなく、社会資本流用である。
その結果、若者は都会に流出し「治山治水」の後は少子高齢社会が待って
いたのでは医療、介護、福祉に廻す金もなくなってしまう。
4.国会議員の任期を20年としよう
県議会議員クラスになると議員の顔に艶があり、赤味を帯びている人物
が多い。
そのことを聞かれた吉田茂首相は「人を喰っているからだ」と答えたとい
う。
「議員と選挙」について先程述べたが議員という人種は不思議なもので「
無投票当選」となるとなんとなく元気がない。「嬉しさも半分」といった
顔をしている。
私はそのことを酒の席ではあるが機会あるたびに聞くことにしている。
彼等にとっては4年間の活動の評価であるのでやっぱり選挙で勝ち抜いて又
再び議場に入りたいのだそうである。
なる程なーと本当に心から尊敬してしまいたくなる。
もし、トップ当選でもするならば執行部に対する権威、発言にもずっと重
みを増すのだそうだ。
ということであるならば、彼等の任期を20年間とすることなど議員自ら「
発議」などしてもらえないかも知れない。
でも、もし彼等の特に国会議員の任期を20年として、次の選挙のことなど
彼等の頭の中から忘却せしめ「国家百年の計」を打ち立ててくれれば歳費
など本当に安いものである。
イ.地元への「利益誘導型政治」が出来なくなり政治家として生きがいが
なくなる。
ロ.公共工事の「口聞き」が出来なくなり、財をなさなくなる。
ハ.選挙のたびに「人的ネットワーク」を作り、息子にバトンタッチしよ
うと思っているのに、人との関係が疎遠になる。
ニ.外交や防衛又は環境、エネルギーだけやっていたのでは地方からの「
陳情」もなくなり、何のために政治家になったか判らなくなる。
ということで任期は短い方が彼等には都合が良いのかも知れない。
なる程、そう言えば衆議員の解散を議長が宣言した時のあのうめき声に近
い万歳は感動の極みなのであろう。
注:20年という永い任期に対する弊害にどう対応するか・・・・・
例えば、リコール制度をもっと我々にとって身近なものとする等の
アイディアを考えよう。
5.何故、改革が必要か
国会議員の誰れからも「発議」されなければ私達の国の「改革」は一歩
も前には進まないのではなかろうか。
もちろん、誰しも、このままで日本が済まされるとは思っていない。
一日も早く改革に向けて作業を始めなければならない。
ただ、このまま市場経済が激しい競争に耐えて、アジア特に仏教国が市場
経済を突き進むとは考えられない。
私の予感では、2025年位を境に再び修正社会主義経済に軌道修正されるか
も知れない。
すなわち、「少子高齢社会」での市場経済の結果は儒教や仏教社会にあっ
ては「富の再配分」について激しい論争を巻き起こすに違いないのである。
ただ、私が必要と思う「改革」とは「見えざる税金」すなわちあらゆる社
会の仕組みの中で消費者が支払っている知られざる税金のこと、このよう
な高コスト社会の仕組みによって一部の人に富が偏在するアンフェアーな
社会であること、そのことは規制によって、恩恵を受けているのではない
かと思われる点が多々見られる点を是正する為の「改革」なのである。
ほんの一つだけ例を挙げれば、「電波」という国民共通の財産という美名
のもとに放送法で民放各局は保護されている。
その結果、一人のタレント司会者に5000万円の月収が約束され、コマ
ーシャルによって消費をPRし、ゴミ問題については無責任である。
もちろん月収が幾らでもコマーシャルも自由である。
自由であるからこそ、地方に待望のCATVが開局されれば邪魔しないで
自由にやらせて欲しい。番組の内容でこそ、競争して欲しいし、いやしく
も特定のKEY局を締め出す妨害などして欲しくない。
県民を愚弄するのはやめて欲しい。
せっかく受信契約したCATVの解約が今、増えているという。
私も解約してしまった。地上波とほとんど変わらないばかりか、地上波そ
のもの(NHK総合、HNK教育、民放2局)をタレ流しているありさま
である。
しかも民放2局は中央のKEY局の全部を放送することなく、KEY局の
一部娯楽番組をまるで「つまみ喰い」している為にKEY局の放送理念や
放送文化は視聴者にはまったく伝わって来ない。
まるで県民総白痴化現象である。
従来の地上局がこのありさまであったから今回のCATV局の開局には大
いに期待したのであった。
「久米宏のニュース番組」が見られないのは全国で宮崎市(中核都市)位
ではなかろうか。
私はこの番組が見られないことの損失を今まで数限りなく受けている。
もっとも端的な例では東京での会合の席でこの番組で取り上げられたテー
マで議論する時、決まって私は「カヤの外」なのだ。
このようなことから今回のCATV局には「まるごとKEY局」の放送が
見れるものと期待していたのであった。
なんのことはない。地上波そのものを流しているのだ。
私は本当にあきれてしまった。
宮崎市内で地上波の難視聴地域があるとは思えないからである。
第3セクターとして官と共に競争のない社会を作っているから、このよう
なことになってしまうのである。
航空法、酒税法しかりである。
注:「去るは極楽、残るは地獄」で一例を示した。
6.民度を上げるしか手はない。
国会議員の任期を20年に出来ないのであれば結局のところ、公務員が
持っているすべての情報を公開させ、私達国民が会話、討論、議論を積み
重ね主権在民であることを強く自覚して、新しい日本、世界から尊敬され
る日本を創造してゆかねばならない。
今後も地方の現場から発言し提言し、「容易でない改革」に向かって新し
い文明開化の為の意識改革を叫び続けるつもりである。
1998年5月7日
アグロアドバイザー
一ノ瀬 正輝
E-Mail:ichinose@miyazaki21.com
所属学会
日本気象学会・日本農業気象学会
統計学会・日本リモートセンシング学会
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